見立寺は川越の菓子屋横丁近くにあり、北条家ともゆかりがあるお寺です。見立寺の読み方は「けんりゅうじ」です。
ご本尊は阿弥陀如来をお祀りしており、川越七福神めぐりでは第六番・布袋尊が鎮座しています。
境内には赤穂浪士に関わる人物のお墓や、全国を巡りながら念仏を唱えて教えを広めた浄土宗の僧侶・徳本上人の石碑などがあります。
この記事では実際に見立寺に参拝した筆者が、見立寺の歴史・御朱印・見どころなど、知りたい情報について詳しく解説しています。
見立寺:施設概要
見立寺(けんりゅうじ)は元々、1558年(永禄1年)に「建立寺」として開山されました。
関東の戦国大名の一族であった後北条氏から招かれ、感誉存貞によって創建されたのち、現在の見立寺という名前に改めました。
本堂前には北条家の家紋が入った香炉があり、ゆかりを感じます。
感誉存貞といえば七福神めぐりの第五番・蓮馨寺の開祖としても知られています。
彼は多数のお寺を開き、浄土宗の七大本山のひとつである増上寺で住職を務めるなど、仏教の教えを広く伝えました。
見立寺は蓮馨寺の門前にありましたが、1670年代ごろに現在の場所に移されたと伝わっています。
その後、1828年(文政11年)と1840年(天保11年)に起きた2度の火災によって焼失し文献も失いました。
しかし1881年(明治14年)に本堂が建立され現在に至ります。
Kenryu-ji was founded by "Kanyozontei" in 1558 by the order of Gohojo family.
Kanyozontei also known as a founder in Renkei-ji.
He had held a lot of temples and he has became the chief priest at Zojoji that one of the seven headquarters.
The temple used to be in front of Renkei-ji but, it is said that it had moved to current location in 1670.
Later, the temple was burned down twice in 1828 and 1840.
However, the main hall was built in 1881and it is in existence now.
この記事の目次
見立寺のご本尊・ご利益
見立寺のご本尊には、現世安穏と極楽往生の仏様である阿弥陀如来が祀られています。
阿弥陀如来はサンスクリット語でアミターバもしくはアミターユスとも読み、それぞれ「無量の光」「無量の命」という意味があり、現世での幸せを導き、死後は安らかな極楽往生へと導いてくれます。
特に、戌年生まれ・亥年生まれの人は阿弥陀如来が守り本尊となるので、ぜひお参りしてみましょう。
川越七福神めぐり 第六番・布袋尊
見立寺には川越七福神めぐりの第六番である布袋尊が祀られており、境内には下のような小さな社があります。
七福神の布袋尊は商売繁盛、夫婦円満、千客万来などのご利益があります。
布袋尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)が姿を変えて人々の前に現れた存在だとも言われており、長寿や無病息災、良縁などのご利益もあることで知られています。
元々、布袋尊は中国に実在した禅僧の契此(かいし)という人物がモデルで、日本では七福神の一柱として広く信仰されるようになりました。
大きなお腹に大きな袋を背負い、簡単な衣服を身にまとい、常に温かな笑顔を絶やさない姿は、心の大きさを表しているようです。
実際に素直で些細なことにはこだわらない人柄だったようで、人々を幸せな気持ちにする存在だったそうです。
福を寄せるような雰囲気のほかにも、人の吉凶を当てることができたとか、雪が降る日でも布袋の上だけは雪が積もらなかったなどの伝説が残っています。
布袋という名は、いつも持ち歩いていた大きな袋が由来した呼び名です。
その大きな袋には人々からもらい受けた食べ物や施しなど、どんなものでも入れていたそうです。
見立寺の見どころ
見立寺の見どころは、七福神の布袋尊の像や赤穂浪士の妹のお墓などお寺らしい部分の他に、季節を感じさせるキンモクセイの木や秋の七草の葛などの自然も豊かです。
境内を歩いて回るだけで移りゆく季節を感じられます。
笑顔いっぱいの布袋尊像と布袋尊社
本堂の右側に進むと七福神の布袋尊のお社があります。
そのお社の前には、あふれんばかりの笑みを浮かべた布袋尊の像が立っていました。
その笑顔と大きなお腹は、見ているだけで福を呼び寄せそうな雰囲気です。
見立寺を象徴する存在として訪れた人を癒してくれています。
赤穂浪士・矢頭右衛門七の妹のお墓
見立寺には赤穂浪士であった矢頭右衛門七(やとう えもしち)の妹のお墓があります。
赤穂浪士は元赤穂藩士の47名の武士による集団で彼もその一人として、1702年(元禄15年)の12月に主君の仇を討つために吉良邸に討ち入りました。
その矢頭家の次女であった彼の妹は、討ち入り前に母親たちと親戚がいた現在の福島県に移り住みます。
討ち入り後は苦しい生活が続きましたが、江戸幕府の配慮などもあり奥州白河藩松平家に仕える多賀谷家の次男のもとに嫁ぎました。
そして白河藩主の国替えによって現在の群馬県前橋市へ移動し、最終的に川越の地へ移住し晩年を過ごしました。
時代に翻弄された大勢の内のひとりかもしれませんが、生き抜く力と女性のたくましさを現在に伝えてくれているようです。
徳本上人 名号碑
この石碑は徳本上人が川越へ布教に来た時に建てられた記念碑です。
徳本上人は和歌山県に生まれ、26歳のときに出家をして布教のために全国を巡りました。
ひたすらに念仏を唱え礼拝を行い、説法をすることによって多くの人々に念仏を伝えた偉人として知られています。
旅立ちの法然さま
見立寺の境内には「旅立ちの法然さま」という石像があります。
岡山県の武家に生まれた法然(法然上人)は、9歳のときに夜襲によって父親を亡くしてしまいます。
その時に父親から「出家して悟りの道へと進め」という遺言を受け、4年間岡山で仏教の基礎を学びました。
さらに本格的に仏道を極めるため、京都の比叡山へ旅立つことになります。
この石像は、法然が仏の教えと悟りを見つけるために旅立つ瞬間の、13歳当時の姿をそのまま表しています。
泰造立六地蔵尊
赤い頭巾をかぶった6体のお地蔵様が祀られています。
水琴窟
「水琴窟」とは、水の落ちる音を楽しむ仕掛けで、日本庭園によく見られる装飾の一つです。
甕(かめ)の底に溜まった水面に水滴が落ちると、その音が甕の空洞に反響し、琴の音色によく似た音が響きます。
そのことから、この装置には「水琴窟」という名前がついています。
実際に耳をすませてみたのですが、水滴の音とは思えないほど高く澄み渡った音色が聞こえてきました。
この見立寺の水琴窟は、「小江戸川越七つの音風景」にも選出されています。
キンモクセイの木
見立寺の入り口や見立寺の横にある墓所のあたりにはキンモクセイの木が植えられています。
秋にはキンモクセイの優しい香りが訪れた人を迎えてくれます。
秋の七草・葛
見立寺の秋の七草は葛です。
葛という名は、現在の奈良県吉野の辺りにあった大和の国栖(くず)の人々が、根から採れる粉を売り歩いたことが由来して、くず(葛)と呼ばれるようになりました。
古くから漢方薬や和菓子の材料として使われています。
8~9月ごろの秋にかけて赤紫色の花を咲かせ、甘い香りを漂わせます。
見立寺のお守り・御朱印・絵馬について
御朱印や絵馬は社務所にて受け付けされています。
御朱印は川越七福神めぐりの布袋尊と、阿弥陀如来を示す無量寿という文字が入ったご本尊の御朱印があります。
また川越七福神めぐりのスタンプは本堂前にあります。
見立寺:アクセス
JR埼京線・東武東上線「川越駅」東口より神明町車庫行バス「札の辻」下車、徒歩5分
見立寺:各種情報
施設情報 | 見立寺 |
---|---|
住所 | 〒350-0062 埼玉県川越市元町2-9-11 |
電話番号 | 049-222-3321 |
駐車場 | 無し |
ウェブサイト | 見立寺HP |
まとめ
賑やかな菓子屋横丁などの観光スポットに近い見立寺ですが、その境内は穏やかな表情の布袋尊の像があったり、秋にはキンモクセイの香りがするなど、ほっこりする雰囲気です。
本堂にお線香をたてお参りすれば心も静まり、神聖な気持ちになれそうです。
見立寺から七福神めぐり第七番の弁財天のお寺、妙昌寺へは徒歩10分弱です。